松尾巧さんは1944年(昭和19年)岡山県倉敷に生まれ、1才の時、母親の里備前長船に疎開。お母さんの苦労と貧乏の中で育ちました。その生い立ちは優しさと苛耐力を培いました。 小中学校の頃は体は小さいがスポーツ好き。中学では柔道部、バレーボール部に所属して活躍。 県立備前高校窯業科に進学、部活は一転して、演劇部に。部長として社会性のあるテーマにもとりくみ、生徒会役員もつとめました。卒業時には専門課目優秀者として産業教育振興会賞を受賞しました。 セントラル硝子に就職。職場結婚した仲間を単身配転させたり、人員削減の「合理化」すすめる企業の身勝手に対して、働く者の<らしと権利を守るため組合活動、裁判闘争などに頑張りました。 1971年狭山町議に初当選、議会運営委員会の設置など議会の刷新にカを注ぎました。以後町議四期、市議五期目当選。今までのに市監査委員、副議長など歴任。現在は党市会議員団長を勤めています。
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