循環バス

 1989年(平成元年)6月議会に池之原地域より、南海バス(福町~金剛間)復活の陳情が提出されましたが、日本共産党市議団だけの賛成しかありませんでした。

 その後、特に、バス路線のない西池尻や東野、池之原地域のみなさんから公共施設を結ぶ循環バスの要望が日本共産党市議団によせられ、1989年(平成元年)12月議会でよせられはじめて「市内循環バスの運行」として具体的な提案をおこないました。  

 当時の吉川市長は、1990年予算に調査委託料を計上しました。これが、きっかけとなり市民の世論になり他党も市内循環バスの実施を要望するようになりました。  

 その後、日本共産党は一貫して要望・提案をしてきました。2001年6月からスタートした後は、①逆周りの運行実施。②山本北児童遊園付近までの路線延長とニュータウンコミュニティーセンターへの接続。③市役所バス停への屋根設置 などを求める要望署名や市交渉、議会質問で実施をもとめました。

 2003年1月から逆回り運行も実現し多くの市民に喜ばれています。 市民の世論と運動が大きな力になったものです。  

 その後、北幼稚園が廃園になり池尻地域の児童は、東幼稚園か東野幼稚園に通園しなければならないという状況となりました。

 北小学校区の保護から、「校区から考えれば東野幼稚園に通園させることになるが、徒歩では遠すぎて子どもに負担がかかりすぎる」「通園バスを走らせるなど、何とかして欲しい」という要望が出されました。  

 市教育委員会は、通園バスを走らせることは財政的には無理と主張しました。

 相談を受けた北村栄司市議は、「それなら、市内循環バスを利用できるよう検討すべきではないか」と提案しました。

 市当局は、この提案を受けて、北と西ルートを連結して東野幼稚園に通園できるようにしました。 (もちろん、総合体育館やふれあいの里へのアクセスも便利になります)  

 ただし、ダイエーや南大阪脳神経外科病院へアクセスしていた北村・亀の甲ルートが廃止になり、「不便になった」「もっと住民の意見を聞いてルートは作って欲しい」と市への怒りの声が上がっています。  

 北村栄司市議は、この市民の声を05年3月議会で取り上げ、廃止した北村・亀の甲ルートの復活を求めています。 日本共産党市会議員団は、さらに充実するためがんばります、ご意見ご要望をお寄せください。                    



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